「吉崎語り部の会」では、吉崎に訪れる旅行者(お客様)に温かい地域の魅力を紹介しています。吉崎に代表される国指定史跡「吉崎御坊跡」は、蓮如上人が北陸での布教の中心拠点と選んだ場所で500年の伝統が息づき、豊かな自然、歴史、文化など魅力がいっぱいです。吉崎語り部と過ごすひとときは、きっと素敵な思い出になると思います。また、語り部の会では、「おもてなしの心」を大切にしながら、蓮如の里・吉崎を訪れる人々に喜んでいただけることを糧に、日頃から郷土の歴史等を知る努力や、新たな知識の習得、魅力の発信に努め日々の活動に取り組んでいます。皆様のお越しをお待ちしています。
吉崎山の麓に一匹の鹿がいた。
蓮如上人が今道村(今の細呂木)から山道を歩いて行くと、
のこぎり坂の下で道が二手に分かれている。
「さて、吉崎へ行くのは右か左かどっちかな」
と思案して居られると、
急な山道の上へ角のある鹿が一匹現れて、
蓮如上人の衣の袖を喰わえて、
左の方のがけ道へ、案内した。
鹿は昔から神鹿といって、神様のお使いをしているので蓮如上人はこの雄鹿に引かれて崖をよじ登った。
すると、白髪の老人が待っていて、
「蓮如上人、よくぞ、このけわしい崖を登って来られました。
わたしは鹿島の明神です。どうぞこの道を進んで、吉崎へおいで下さい。」
といって見えなくなった。
上人は鹿の案内で、吉崎の御山に着くことができたという、これは七不思議の中の鹿の伝説である。
蓮如上人が村をまわって、貧しい百姓の家で一夜の宿を乞うた。
そして明くる朝、浜に生えていたお筆草を取って来て、お礼に六文字のご名号を書いて渡して行かれた。
すると、それを「蓮如上人のお筆草のご名号」ということで、門徒衆が、方々から拝みに来たので、
自然暮しが楽になり、貧しかった百姓も立派な信者になったという。
お筆草は、本名は「こうぼうむぎ」といって、日本中どこの海岸でも、砂浜に生えている。
多年生の草本で、その根茎は、砂の中を長く伸びて行く。
また、根茎の節々に生えている葉鞘の繊維は腐らず、長く残っているので、
昔の風雅な文人たちは、これを、筆の毛とし、根茎を筆の軸にして、面白い字を楽しんで書いた。
それで「こうぼうむぎ」を「ふで草」ともいうのである。
吉崎御山の上に、蓮如上人お腰かけの石がある。
この石は蓮如上人が御坊から出ていつも腰をかけて、お念仏を称えながら辺りのよい景色を見て楽しまれた。
それで冬でも石の上に雪が積もらず冷たい感じがしなかった。
また春日明神のお使いであった鹿もこの石の上でよく休んでいたと伝えている。
岩は出所によって岩の種類は山岩と川石、海岩に分けられ、川や海岸から運んできた岩は、岩肌がざらざらで、苔も生えれば、坐っても、海石や川石のように冷たく感じないものである。
さて、蓮如上人お腰かけの岩は、山岩だろうか、海岩だろうか。
蓮如上人はいつものように本堂でお勤めをなさってから
仏壇のお花松を一本ぬきとってお庭へさし木をして合掌された。
みんなもその挿木の松をかこんでお念仏を称えた。
門徒の人たちは、このお花松が枯れないように水をやって守っていたら、
不思議に根がついて生長したという。
そんなことがあるものかと、植物学の先生にお聞きしたら、
めったにないことで、それを不思議というのであろうとの事であった。
昔から吉崎御忌の頃の名物にこうなごがあるが、ある年、そのこうなごがとれなくなった。
村人が困って蓮如上人に申し上げたら、蓮如上人は北潟湖のほとりへ出て、
紙でこよりを沢山こしらえ、ちぎっては投げ入れられた。
すると、そのこよりに誘われてこうなごがだんだん集まって来たので、
漁民は大喜びであったというのである。
またその紙こよりがこうなごになったという、話もあるが、それは不思議でない間違いであろう。
こうなごは、本名を「いかなご」といって、春、二千粒も卵を生む。
それが五センチくらいになったのを、こうなごといって吉崎の名物になっている。
こうなごは夏になると、水中の砂の中にもぐって休眠する。
そして、三年ほどたつと、二十五センチくらいに成長する。
成長した魚はこうなごとは言わないのである。
吉崎の御山の上や鹿島に沢山の小蟹がいる。雄は甲羅が四センチくらいのもあるが、雌はやや小さい。
吉崎では「蓮如さまのお使いだ」といって、天然記念物にもなっている。
その小蟹の中に、はさみや甲羅のあたりが赤くてきれいな蟹がいる。
これを吉崎の赤手蟹といって七不思議の一つになっている。
赤手蟹は、昔、蓮如さまの御坊が焼けたとき、
「それ蓮如さまの御坊の火事だ」、「蓮如さまを助けろ」
といって、口に水をふくんで来て、火消をしたそうな。
その時やけどをしたのが、赤手蟹になったと伝えている。
赤手蟹は、甲羅の真中に目と口の形をしたくぼみがあり、足には、毛が生えているので、弁慶蟹ともいわれている。
「葦」アシは、言葉の読みが「悪」アシにも通じるのでヨシ「善」ともいって、同じ植物である。
北潟湖の水辺に沢山自生しているが、世界で最も分布の広いイネ科の植物で、高さ二メートル位。
根茎は長く泥の中を横行して節から中空の稈を出し、葉をつけている。
葉は二列に互生しているが、風が吹くと、葉ずれするので自然に一方に片寄って片葉のヨシとなる。
文明七年八月二十二日に蓮如上人が吉崎から退去された時、門徒は見送りに出て拝んでいた。
上人は船の上から声をかけて、
「皆さん、お念仏を忘れなさるなよ」
と手を差し伸べて別れを惜しまれた。
すると一陣の風がサッと吹いて、葦の葉が一方に片より、上人をよく拝むことが出来た。
それから「片葉の葦」といって七不思議に数えられるようになったという。
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